1.墓地取得

 飽の浦教会には墓地がなく、神の島、木鉢、伊王島等に埋葬していたが1950年(昭和25年5月)水の浦町山田弥造氏所有の畑2反7畝20歩の売買契約が成立し、同年12月25日杉山知事の特別詮議により埋葬許可が認められた。ちなみに購入費は40万円であった。墓地は信徒の奉仕によって整備することになり、管理人に真田伝道師、世話人に高比良氏に決定、売り主山田家に10坪を贈与することにした。

 7月の日曜日の2番ミサ後から午後4時まで昼食持参で墓地整備が開始され、12月27日まで継続された。この間奉仕を欠席される人に100円の奉仕料を収めて貰った墓地の分割については申込者が多数のため、分割すること無く共同墓地に決定した。

2.墓地管理と運営

 墓地管理に当たっては担当顧問と地区委員の半数を墓地係とし、墓地管理者を決めて墓地清掃、追悼ミサ等の行事と墓地に関する諸問題(墓石の統一、墓地寸法、外枠の寸法)など審議してきた。

1966年(昭和41年2月)墓地管理規則が制定された。

3.納骨堂の建設

 埋葬を始めて25年が経過し、墓地の半数以上(300体)の埋葬が終わった頃より納骨堂の建設の必要性に迫られ、墓地上部に1975年(昭和50年3月)鉄骨、鉄筋、ブロック建て50㎡1000体収容能力の納骨堂が完成した。工事費は12,986千円で大半は維持費(1年分前納措置)と一部寄付金と借入金でまかなわれた。納骨堂が完成し4・5号墓地に埋葬されていた196体は改葬され中153体が納骨堂に納められた。

4.道路補修

 1975年(昭和50年5月)教会から墓地へ行く道の一部で路肩が崩れて、葬儀参列者に危険感を与えていた箇所を、道路使用関係者の協力の得て補修工事を完成した。尚、この工事の資材運搬に延べ270名の信徒奉仕作業がなされた。

5.分譲霊園

 時代の移り変わりと共に火葬納骨が主流を収める様になり、更に土葬されていた遺体も次々と改葬されて空き地(荒れ地)が広がり、加えて墓地使用者の他教会への転出による管理の他人まかせ、清掃協力者減少等墓地管理も困難となって来た。

 1987年(昭和62年11月)墓地に関する特別委員会を発足させて24回に亘って協議を重ね、一部(4~6号墓地)を霊園として改装し分譲することに決定した。設計に当たっては城山・愛宕教会墓地、長崎市民墓地などの調査を行い納骨室は極力多くの遺骨を収納すべく計画すると共に、墓地配列を階段状にして祭壇が各位置から一望できるよう配慮した。   続く